| china's profileちなろぐPhotosBlogLists | Help |
|
|
10/13/2008 怖くなったら、言葉にして、書き出してみてArちゃんが、メールでそう書いてくれた。
その通りだと思う。
私は、言葉にする事がすき。
迷いも、淋しさも、不安も。
言葉にしてみたらその正体がはっきりするかもしれない。 12/19/2006 日本人と中国人(広州から)4私の祖父は坊主。
ずいぶん前に亡くなったけれど、寡黙なヒトだったけれど、 昔語りに聞くところ、たまに空を見上げて 「今日も烏が鳴かないな。」とつぶやいていたと言う不謹慎なヒトでもあった。 (「烏が鳴くと人が死んで葬式になる」と言う前提のお話。) 中国人に 「祖父はお坊さんだったの。」と言うとひっくり返らんばかりに驚く。 昨日は日本語学校に通っているホテルのコンシェルジュにそう言ったら 生真面目な若い彼は本当に卒倒しそうになりながら、日本語で 「だめだめだめだめなんですよ、そそそれはだめなんです。何を言っているのですか!」と繰り返した。 私はこの時の中国人の反応が大好きなので、いつもじっくりと楽しむことにしている。 「何がだめなのよ、お祖父ちゃんはお祖母ちゃんと結婚して私のお母さんを産んだのよ。」 「何を言っている、お坊さん結婚したらいけないなんですから。」 「お坊さん結婚してるわよ。日本お坊さんはすべて結婚してるわ。結婚できないお坊さんは お見合いとかで奥さんを探すのよ。」
「違います。お坊さん結婚して普通の人と同じの生活なるのは本当のお坊さん違います。」 「あらやだ、そんな事言ったら日本に本当のお坊さんなんていないわ。結婚だってするし、 肉も食べるのよ。戒名なんて、お金によってランクが変わるのよ。葬式の時だって、
お経ひとうなりで5万とか10万よ。」 「ここ、こーれーは本当の資本主義なんですよ。そそそんな事しらないだったんですよ。」 その後、彼はちょっと使い物にならないような感じに呆けてしまった。 日本に本物のお坊さんっているのかしら? 12/5/2006 目覚まし時計なんでも中国で買えばいいと思って何も持ってこなかったので、
昨日、目覚まし時計をやっと買った。時間に厳しいのが当然の現場なので、
寝過ごすくらいなら死んだほうがましなのだ。
10分前には21名ほぼ全員が集まっているので、出発は常に10分前。
このあたりは、法曹界の各名士先生にもぜひとも見習ってもらいたいところ。
電池と時計本体あわせて14元=210円。
大きくてかわいいのでけっこういいと思って買った。
しかし、思いがけない問題が。
秒針が秒を刻む音が、テレビの音くらいでかくて眠れない。
ヒトの耳は慣れるというから、少しがんばってみようと思う。
12/2/2006 中国人と日本人(広州から)1Nのおじさまは、偉いヒトな割にはとても面白い。
朝、現場に向かうバスの中で、
「このホテルにも、どうやら日本人みたいなヒトが泊まっているね。」
とおっしゃった。
「あれ、どうしてわかりますか?」と他のヒトがおじさまに聞いていて、
私は内心(そういうのって目つきでわかるんだよね。)と思っていた。
Nのおじさまは、仕事で60回も中国に来ていると言うのだから、
それくらいわかるに決まっている。
ところが、おじさまの答えが素敵過ぎて、私は朝から大笑いしてしまった。
「いやあのね、はげの感じを見たらね、はげの手入れが日本人風の
手入れの仕方だったからね。」とおっしゃったのだ。
朝からバカウケ。
人それぞれの観察力と言うのはまことに面白いものですね。
11/17/2006 瓦解の理由彼が、彼女を選んだ理由が、一気に理解できた。
彼は、彼の「自己重要感」に突き動かされて彼女を選んだ。
それは人間が生きていくのに不可欠な感覚で、逃れる事はできない。
そう、彼が彼女を選んだのは、私が不良品だからでなく、
私が彼女に比べてスペック的に劣るからでもなく、
私はつまりラインからハネられたわけではなかったし、
私に手直しが必要だったわけじゃなかったんだ!
私は、同時に「許す」とはどういうことなのかを体験した。
今日まで10年かけて恨んだ相手のとった行動が、本当はこういう理由に
基づいていたんだと知った瞬間に、「恨む」という気持ちが消えた。
私はウソのように、「許す」と言う事がどういうことかを知った。
私の中の、黒くて、大きくて、硬い硬い岩が、瓦解した。
私は今、地下鉄に乗る度に、2駅に1回くらいの割合で思う。
それも、ちょっとニヤニヤしながら思う。
「あぁ、よかった。私って、不良品じゃなかったんだ。」
その度に、言い知れない幸福感が漂う。
それもこれも、どこから始まっているのかわからないけれど、
中国語を手に入れたことや、独立するきっかけをくれたセミナーや
夢を見るきっかけになった紅葉ドライブや、飯田先生の本を
紹介してくれたビンゴ大王や、メールを彼に渡してくれた
昔の同僚や、そして、「逢おう」と言ってくれた彼本人にも。
たくさんのたくさんのありがとうを心に刻もうと思う。
読んでいてくれる皆様も、
私なんかがどうなってるのかを気にして下って
どうもありがとうゴザイマス。 瓦解の日私達は、かつて100回以上も待ち合わせをした場所で待ち合わせた。
彼は以前と全く同じ立ち方でそこに立っていた。
100メートルも手前から、私は彼を認識できた。
「逢って何を確認するのか?」とお巡りさんに言われた言葉が
心の中を行ったり来たりして、ほんの少しだけ緊張した。
けれど、彼は30メートル位の位置で私を認識した瞬間に
とても柔らかい視線でこちらを見た。もう何年も、あんなに
優しい笑顔を私に見せてくれた人はいなかった。だから、
こちらも10年に一度の会心の笑顔になってしまった鏡の法則。
実は私は、「逢って彼に伝えたい事」を前日に決めていた。
お風呂でシュミレーションをするくらいに、大切なこと、それは
「今日で私はあなたを許したいの。」と伝える事だった。
私達はお互いに、本当に長い間連絡を取っていなかったので、
この日の最初は本当にギクシャクしていた。なんだか、
隣同士に並んで歩く事すら不便な感じだった。
スペイン料理の店で、
「お酒飲めなかったよね?」「キライな物なかったよね?」と
相手のことを知っているような知らないような確認をしたあと
私は、彼に捨てられた後の話をした。
呼吸の仕方にも混乱した事。地下鉄のどの駅で降りようとしても
全ての駅に思い出がぎっしりで、とうとう地下鉄に乗れなくなったこと。
誰かに裏切られるように仕向けて、裏切られる度安心してきたこと。
彼は、私の中国留学中に他の女性に心を移して、そのまま戻らなかった。
心を移した女性は私より若く、美人で料理のうまいバツイチだった。
私のいない間に彼女は捨て身のアプローチをして、彼の気持ちを掴んだ。
毎日職場に弁当を届けていた。私は、料理が出来なかった。(今も出来ない。)
「捨てないで」とすがる私と彼女を充分な時間をかけて比較検討した彼は
私を振り切って彼女を選んだ。
私。
私って、誰かと比べられて、はっきりと選ばれないような、不良品だったんだ。
T自動車の組立ラインでは、不具合があるとラインから外して別棟に運ぶ。
そして、そこで手直しをする。私は、ラインから跳ねだした不合格品で、
別棟に行っても、誰も手直しもしてくれず、放置された。「不良品」の私は、
常に誰かと自分を比べて、劣等感を感じる習性を身につけた。
うらやみ、ねたみ、諦め、自暴自棄になった末、香港へ逃げた。香港で
孤独感にさいなまされ、自分の生きている価値への疑いを更に深めて帰国。
帰国後、面接でほんの30分話しただけの小さな貿易会社の社長から
「あなた、相当病んでいるみたいだから、この自己啓発セミナーに行ったら?」
とすすめられた事、そのセミナーがきっかけで独立へと踏み切れた事、そして、
あちこちで受注した仕事の評価が思ったよりも悪くなかった事で、ようやく少しずつ
自分への自信を取り戻し、とうとう「中国残留孤児訴訟弁護団」と出逢えた事。
「死ぬことは常に考えていたし、ブログの文章を読んだ通りすがりのヒトが
自殺するんじゃないかって心配してくれた事もあったのよ。」と彼に言った。
彼は、仰天発言をした。
「俺は、あなたは俺と別れても、3日くらいで立ち直ると思っていた。
まさか、あなたが俺と別れたくらいでそんなに苦しむと重いもしなかった。
すぐに、強く生きていくと思ってた、俺なんていなくても、、。」
私は、彼が悪い冗談を言っているのかと思った。
「なんて言っていいのかわからないけど。。」と彼はもう一度言った。
「ほ、ほんとに・・・?」と私は唸った。
「だから、あなたには俺なんていなくても大丈夫って言ったんだよ。」
私には、その時明らかに思い至る事があった。
私達は長く一緒にいたけれど、私は彼からあまり響を受けた記憶がない。
彼はこう言った。
「俺は逆だよ。あなたから受けた影響があまりに大きすぎた。
活字を読むことも、海外旅行で臆さない方法も。だからこそあなたは
俺がいなくても、俺と別れても大丈夫だと思ったんだ。もう一人の彼女は、、
本当に、俺がいないとダメだって、守ってやらないとって、彼女は、
俺のことを必要としていたから。」
この時、私は何かが乗り移ったように、思いもかけない言葉を口にしていた。
「ねぇ、でも、それは当たり前だよ。だって、人間にとって一番価値があって、
生きててよかったって感じられるのは、誰かに必要とされた時なんだよ。」
後にビンゴ大王先生に聞いた。その感覚を「自己重要感」と言うのだそうだ。
それは、私が通訳として独立したからこそ理解できた事なのかもしれない。
仕事の評価が高かった時、指名で仕事を貰う時、「やだちなさんじゃなくちゃ」と
言われる時、背筋がぞくっとするような高揚感を覚える。
彼は、彼女に必死で求められて、言い知れぬ高揚感を覚えたに違いない。
私は、彼をそんな気持ちにさせられなかった。 ありがとうございました。昔の自分を確認に行くとブログにアップして、
コメントを貰った。(まーさんいっちゃんありがとう♪)
携帯にメールも貰った。
電話も貰った。
きっと、メールも電話もコメントもくれなくても、火曜の夜に、
「だいじょぶかな、あいつ」と、私の事をちらりと思い出してくれた人が
他にもいるような気がしてならない。
みなさん、ありがとう。私は、楽になりました。
長くなるけれど、今の私がどうなっているか、少し報告したいと思います。
11/15/2006 何度でも覚醒を繰り返す日々私が、他人をいつも疑っているのは、彼と出逢う前からの事だった。
自分の弱さと醜さは、誰かの自分への行為によって作られたものだと
私は結局、他人のせいにしようとしていたのだ。
彼と生まれて初めて逢った時、それはコンパの席だったんだけれど、
私と彼の会話のテンポは驚くほどよく噛みあって、そのうちに
わるのりした私は、彼のコップではなく、から揚げの入っている彼の
とり皿にビールを注いで彼に飲ませようとしたのだったと思う。
その時点で、私は彼を疑っている、又は怒らせようとしている、でなければ
彼が呆れ果てて私との言葉遊びを止めてしまうだろうと予測している。
ところが彼は、すごく嬉しそうに、面白がってから揚げビールを飲んでしまった。
私は、その彼を見た時に、
「あ、このヒトは私の事を裏切らないかも。」と思ったのだろう。そこから、全身で
彼にもたれかかっていく日々が始まった。
彼は精神的に子供ではあれ、よく笑う人で、様々な出来事を楽しむ能力が
高いヒトであったから(そしてそれは今も変わっていなかったけれど←これは余談)
彼にとってはこの「から揚げ入りビール」がことさら面白かっただけなのかもしれない。
私は、よく考えて見れば彼に出逢う前から人生をなめていて、どうせ私なんか
幸せになる資格を持たないのだからと、投げやりに生きていた記憶が蘇った。
そしてその度彼が「そんな事はないよ」と言ってくれていたことも思い出した。
自分を溯る旅が始まった。どこかにある、「人間不信の泉」の源流。
少しずつでもいいから、近づいていかなければならない。
11/13/2006 夢から醒めて、闘う現実今月初め。
翻訳納期にうなされていたら、突然扁桃腺が腫れた。
喉から血が出るかと言うような痛みに耐えて、納期通りに
提出した翌朝、強烈な痛みとだるさと苦しさの中で、夢を見た。
登場人物は、13年前に私を棄てたオトコと、その妻とその両親と
その夫婦とも私とも全然関係のない小学生の男の子と、私。
2時間ドラマ風に仕立てられていて、物語はいきなり終盤に入っていた。
その男の子が両親がいないなどの可哀想な境遇で、何かの事件に
巻き込まれるのだけれど、その場に、なぜか私と彼一家が居合わせた。
私は彼に
「どうせあの子を引き取りたいって言い出すんでしょ?」と言っていた。
いや、13年前の現実のあのオトコは、そんないい奴じゃなかったはずだが
大丈夫か、私!
「うーん、周りは反対するだろうけどなぁ。」と彼。
「までも、そういうのを説得する事もあなたにとっては得意な分野だしね。」と私。
そう、「あなたの事は私が一番理解しているのよ。だから、本当にあなたのそばに
いるべきなのは私だったのに。ずっと一緒にいたかったのに。」と
夢の中で私は彼に訴えていたのだ。
肺の底からの乾ききった咳に、喉をかききられる様にして夢から目醒めた私は愕然として
「なに?これなに?これなにこれなに、これどういうこと?」と無意識のうちに繰り返していた。
その内に、激しい怒りの感情が湧き上がってきた。
13年!解決したつもりでいたのに、その長い時間、あのオトコがずっと私の中に
こびりついていたとでも言うの??私はいつまであの亡霊に憑かれ続ければいいの?
飯田先生の「生きがいの創造」という本には、(ネタバレごめんで申し訳ないけど)
「自分の人生には自分で仕掛けた課題があちこちに用意されている。」と言うような事が
書いてある。すでに飯田信者と化している私は、激しく憤りながら、はっと気付いた。
彼に棄てられてから、誰一人信じなくなった事は、私が私に用意した課題なのではないか?
私はこれをやっつけなければならない。そうしなければ、私の人生は前に進まない!!
感情の勢いがあまりに激しかったため、そこからの私の動きは非常に速かった。
13年前の彼の同僚に、激情滴るメールを送りつけ、「彼の携帯番号を教えよ。」と迫った。
この日、11月3日。
それから1週間、何の音沙汰もなかった。
彼の同僚からの「メール届いたよ」という返信もなかった。
私は焦って、別に片想いはしていない、単なる友人のお巡りさんに電話をした。
「お前、気でも狂ったんか?今ごろそんな男に逢ってどうしたいんだ?向こうも
キチガイ女からメールが来たと思って、無視しとんだわさ!」とあしらわれた。
11月10日。
見知らぬ着信番号で、「踊る大捜査線」の着信音が鳴った。23時28分。
「上田です。」と、13年ぶりの間抜けに明るい声が言った。
「あぁとうとうかけちゃった!酔っ払ってるので、酒の力を借りてとうとうかけました!」と
間抜けな声はハイテンションで一気にしゃべった。
私は、非常に不愉快になったので、第一声が
「酔ってるの?あんた、随分失礼ね。」となった。
「え、失礼かなぁああ。」とこちらの気持ちには一切頓着していない彼は、歌うように言った。
逢おうと思うんだけど、という旨を私は伝えた。
「逢いたいね。うん、いいよ、逢おう!じゃ、逢おう!そうだ、じゃ、今からはどう?今から逢おう!」
「逢えるわけないでしょ。」
「なんで?なんでなんで?いいじゃん。逢おうよ今から!何でダメなの?」
私は、もしかして猿と会話をしているのではないかと思った。
「何でもかんでも自分の思う通りになると思ったら、大間違いよ。」と、私は真矢みきさん演じる
沖田管理官のように優しく言った。
下らない押し問答の後、14日の火曜に逢う事になった。
逢う事になってから、急激に尋常ではなく動揺して遠く離れた年下の東京の友人にメールした。
「大丈夫。絶対逢うべきだと思う。」と返信が来た。力強かった。その力強さを借りて、
ビンゴ大王先生にメールした。
「13年の間に、彼も何らかの障害にであい、苦労をしていれば同じ波動を感じるでしょう。
または、「こんな人だったのか。」と思うかもしれない。いろんな事が考えられるけれど、
ただ、自信を持って逢えばいいだけです。」
こうして今日、私はやっと通常の精神を取り戻した。
火曜。
私はありのままの姿で、自信を持って13年前の自分の救出に向かう。
読んで下さってる皆さんの中で、オフラインで私を知っている方、
どうか、14日火曜の18時半を過ぎたら、一瞬でいいので、私の事を思い出してください。
そして、一瞬でいいから、「やだちなのやだちな救出大作戦が成功しますように。」と
想ってやって下さい。皆さんの想いが、とんでもない後押しをしてくれそうな気がします。 10/31/2006 それでもよく考えたら、私はビンゴ大王先生の事だけは恐らく信じている。
なぜか。
(先生、もし書いちゃいけないことだったら、すぐメール下さい。削除します。)
私と同じ様に独身のヒトがいて、いずれ私がなるように、「身内」がいなくなった。
部屋を借りるか何かするのに、「保証人」が必要で、誰も保証人になってくれないので
ビンゴ大王が保証人になった。そう聞いて、私は「あ、よほど関係が深い人かな?」と
思った。ところが聞いていくうちそうでもないと感じる。
その人が、突然部屋で亡くなった。何日か誰にも気づかれず、気付いたのが大王だったか、
いづれにせよ、後の処理をしてくれる人など誰もいないから、ビンゴ大王が全部の処理をした。
そう聞いた時に、私は本能的に、「あ、この人は信じても大丈夫」と思った。
多分ビンゴ大王は、その人との関係が深いとか浅いとかではなくて、ただそこに自分がいて
自分がやらなければ進まない、または自分がやりさえすれば解決する問題だったから
自分がやったという、それだけの事と言えばそれだけの事だけれど、出来る人はまずいないだろう。
それと。
長く片想いしているお巡りさんの事が、私はやっぱり好きだ。
彼はもちろん私の味方だったことなど一瞬もないし、声を聞く回数だって年に数回で、逢える事など
ほとんどないけれど、でも、やっぱり私はお巡りさんにああいうヒトがいると思うと、安心する。
彼は、いつまでたっても結婚相手も彼氏も見つからない私にこう言った。
「あなたが部屋で孤独死して、身寄りがなくて誰だかわからない上に死後数日経っていたとしても
処理に行くのは俺たちだからね。身寄りがないって言っても、こちらとしては草の根分けても
親類縁者を探し出そうと思って当たるから、たいてい誰かは見つかるから大丈夫。
ちょっと引き取る時に皮とかがずるっとなって、吐きそうになる事はあるけどね、でも俺たちの
仕事だから。」
彼はウソはつかない。どんな現実でも誇張なく現実のままに表現する。
日本に警察があってよかったし、警察官と知り合えてよかったし、警察官を好きになってよかった。
ちょっと皮がずるっとなって、吐きそうにしてしまうかもしれないけれど、それでもきっと
最後は面倒を見てくれるお巡りさんたちだから。 10/30/2006 また見捨てられたいの?私には、あまり隠し事がない。
残念ながら犯罪の実績はないが、それが誤訳であれ、プロの仕事としては
大失敗の事件であれ、人間として道を外れたり、ありえないほど他人の心を
踏みにじったり、せいぜいそれくらいの経験しかないけれど、でもそれら全部
私の物語であって、もし守秘義務がなければ、ブログに全部アップしても
全く平気。だから誰にでもどんな話でもするし、周囲にたまたまヒトが多くて
「友達多いよねー。」などと、言われる事もある。
でもそういう話をオープンにするのは、相手を信じているからではない。
むしろ、信じていないからこそ、どんな話だって出来る。
「人間は一人では生きていけない」と言う言葉は大嫌いだけれど、でも
もしかして本当に人は一人では生きていけないかもしれない。けれど、
「人間は、誰一人信じなくても生きていける」とは思っている。
どうせ信じられない相手に、どんな話を聞かせようが、なんの影響もない。
笑いながらすごせば楽しいだけで、話しても話さなくても、時間つぶしに過ぎない。
私には、「この人ならいざと言う時に助けてくれる」思える相手がいない。
というよりも多分、いざと言う時助けてくれる人が、私にはいない。
「いつでも助けに行くよ」と思ってくれている人はいるかもしれないが、
その人は自分を買いかぶっているか誤解しているだけで、本当に何かあった時
役に立たない自分の無能を知るだけの能力に欠けている。思い上がりにすぎない。
あなたは、私に何かあったとき、絶対に私を助けには来ない。
人間なんてそんなもんだ。私には、両親を含めて味方はいない。
だから私は、発狂しながらでも、誰の事も信じずに、誰の手も借りずに、
誰にも頼らずに生きて行きたいと思っている。だからこそ、明日の朝ベッドの上で
突然死しても、どんな思い残す事も気がかりなこともない。
ただ、誰の事も信じないまま一生を過ごせたと言う事実が残るだけだ。 何がわかるの?誰かとの関係を、一刀両断にぶった切りたい時、私は
「あなたに何がわかるの?」と言う。
あなたの事を知らない私と、私の事を知らないあなたが、
お互いのことを知ろうとして、初めて、一歩踏み込んだ人間関係ができる。
あなたの事などどうでもいい私と、私の事などどうでもいいあなたの間には
何も起きないし、何も始まらない。何かあっても、表面上のもの。
誰かの身に、とても悲しいことやショックな事が起きた時に、いとも簡単に
「そんな事はよくある事だよ。」と口にするヒトがいる。そう言う言葉を聞くと、
なんて頭が悪くて傲慢なヒトなんだろうと思う。そんなヒトと言葉を交わす時間は
1秒でもムダだし、顔を見るだけで不愉快だ。死んでしまえと思うときもある。
私は、徹底した経験主義者だ。経験してない事は、体験していない以上理解できない。
理解するためには、とても謙虚に何度も繰り返しそのヒトの話を聞くしかない。
どんなに一生懸命聞いても5割以上は理解しきれないはずで、
これを謙虚に冷静にわかっていないと理解度は増やせない。
誤訳をした事がないヒトが、料理が出来ないのが理由でオトコに捨てられた事がないヒトが
親を医療過誤で亡くした事がないヒトが、誤認逮捕で拘留された事のないヒトが、
そのような事で苦しんでいる人に、「そんな事はよくある事だ。」と言う。大抵の人は
自分がわかっていないことを知らない愚かな人だ。この台詞を聞く時、私はこのヒトとの
交流は終了しようと思う。
「あんたなんかに何がわかるの?」
本当に私の事を理解したいと思ってくれているなら、もっと真摯にもっと謙虚に
私の言葉を受け止められるはずじゃないの?
ところが、私には、私の事を知ろうとしてくれるあなたがいない。
世界中のどこにもいない。
淋しくて気が狂いそう9月4日のエントリーで
一昔前の病んでいた頃は、世界中に見捨てられた気分の日は
それでも誰かはまだ私の事を好きでいてくれるのではないかと
一生懸命に頼れそうな人を心の中で探したものだ。
最近はオトナになって、誰かに助けてもらえる問題ではない事が
わかったので、世界中が急に冷たくなった気がしたときには
「暇すぎるんだよな。」
と呟いてみる事にした。
と書いた。
オトナになったつもりだった私は、今日は100回以上、「暇なんだ」「暇すぎる」と
呟いたけれども、少しも効き目がない。愚かしくも、誰かに助けてもらおうと
電話までしてしまった。「誰か」は私の救出に失敗した。
どうして、世界は何度も何度も私を見捨てるのだろう。
「生きていてもいいよ」と誰かが言ってくれればいいのに。
でもそれはウソだ。本当は、私はここにいてもいなくても同じだから。
いてもいなくても同じと言う事が、どうしてここまで私を打ちのめすのだろう。 10/24/2006 自分の唇から離れた言葉「言葉」は「言霊」ともいい、音になった瞬間に大きな影響力や意義を持つ。
公的な場面でも私的な場面でも、自分の唇から言葉たちが離れていく時、
瞬時のうちに慎重かつ大胆な判断をし、その音と内容には責任を負うべきだ。
「友人の知り合い」が弁護士と不倫をしているそうだ。結構な美人主婦だという。
友人とその美人主婦が食事をしている場所やカラオケを楽しんでいる場所に、
ビジュアル的には「キモい」という表現からどう努力しても抜け出せない、その
チビの弁護士が乱入してくる事があるらしい。
初対面の時、その「チビ弁」は、私の友人に向かって
「あなたは、100を話したら95は理解できる頭を持っているヒトだね。結婚するには
いいかもしれないけど、僕はあなたみたいなヒトには惚れないんだなぁー。」と
抜かしたと言うのである。
アホじゃなかろか、と思ったけど、「なかろか」どころではなく、これはほんまもんのアホだ。
あんた、速水もこみちか藤木直人ですか?もしそうだとしても、あんたが彼女に惚れるか
どうかなんて、彼女にとったら金正日の世継ぎ問題よりももっとどうでもいい事なのに、
なんでそんな事わざわざ宣言しないと気がすまないのか。
公的でない場所で自分が発した言葉が、まわりまわってインターネット上で「晒される」。
そんな事は少しくらいの危機感があればわかることなのに、相手をなめてかかっているから
こんな暴言を吐いても、何の問題も起きないと、醜く安心して毎日を過ごしているのだろう。
どれほどまでに裏表があり、どれほどまでに自分以外の人間をばかにして生きているのか
逢った事もない弁護士だけど、手に取るようにわかる。こんな人間に、自分の人生に起きる
大切な事を依頼出来るのだろうか。彼が、「ボス弁」として生計をたてている以上は、
こんな人間でもそれらの案件の処理ができると言う事だ。なんとばかばかしい日本社会。
いいえ、日本社会がどれほどばかばかしいとしても、やっぱり私は自分の言葉が自分を
離れていく時には、きちんと慎重に判断して勇気を持ってその言葉を送り出していく。
そして、その言葉たちを、たとえそれが誤訳であったとしても、自分の送り出した言葉ですと
いつでも認めて、その内容には必ず責任を持つ。そう、そのように生きられれば、
誰かがどこかで無責任で軽率な言葉を垂れ流していようと、そんな事はどうでもいいのだ。
10/14/2006 依存の記憶一瞬たりとも一人ではいられなかった、昔の自分。
長く付き合っていたヒトがいて、私は彼に依存していた。
仕事の愚痴を言えば、いつでも辞めればいい、嫌な想いをしてまで
仕事をする必要はない、辞めて僕と結婚すればいい。と言われた。
新しく出たあのCDいいよね、といえば、そのまま買いに行って買って貰った。
新しいアミューズメントが立ち上がればすぐに出かけた。土曜も日曜も祝日も、
約束しなくても逢う事は決まっていて、毎日電話をしてその日相手に起きた事を、
ランチのメニューも、帰りの電車で座れたかどうかも、上司の機嫌も、
全部知っていた。まるで、どちらが自分でどちらが相手なのか、
わからなくなるような日々だった。
突然彼がいなくなった日、絶対に揺らぐはずのなかった強固な足元が、ぐにゃりと歪んだ。
あ!と思った時には、既に足元にしっかり立てる地盤はなくなっていた。
どこかにつかまらなければと、空中に向けて必死で両手を伸ばしても、
何かに触れる事さえできなかった。どこかに向かって落ちていくのか、落ちているのか
落ちていないのかすらわからず、つかまる場所もなく、自分のいる場所もわからず、
よく知った道を歩くたび生まれて初めて見る風景に見え、地下鉄に乗ると
どの駅も懐かしくて涙が出た。1週間くらいして、自分が呼吸の仕方すら
わからなくなっている事に気づき、愚かだった私は「呼吸の仕方」を誰かに再度
教えてもらおうと、更にさらにあがいた。
背筋の寒くなるような記憶だ。
呼吸の仕方など自分で覚えて、自分のいる場所など自分で確認して、新しく出たCDなど
自分で買って、それで済む事なのに、そんな事までわからなくなるほどに醜くもたれかかって、
しがみついていなければいられなかった。今思えば、私は依存する以外の恋愛の仕方を知らなかった。
仲のいい夫婦というヒト達は、依存しあっていて当然なのかもしれない。
互いに相手の呼吸の仕方まで知っていて、相手のいる場所も掌握していて、一心同体なのかもしれない。
けれど、私にはそういう相手はいない。いないけれど、それを淋しいとは思わない。
自分で自分のコントロールが出来て機嫌が取れることを、なかなかいいと思っているから
私は一人でいることを淋しいとは思っていないけれど、もしかして強がりに聞こえるかもしれない。
でも、強がりに聞こえなければいいのな、と思う。何故なら、強がりではなくて、本当にそう思って
いるからだ。そう思えるようになったのは、高校の同級生やビンゴ大王先生や仕事で出会った
自衛官の兄貴や、色々なヒトがたくさん語ってくれたり本を紹介してくれたりしたおかげだ。
私は、もう恋も結婚もしないだろうけれど、(ちょっと!「その年齢と体脂肪じゃ無理!」って
思ったそこのあなた!コメント頂戴。)きちんと大人として生きていけると思う。
自分が自分としてきちんと立っていられる時に、好きになれる人が現れたらそれは
幸せだけれど、そう言うヒトが現れなくても、私の人生はもう大丈夫。 8/15/2006 夏に生ビールを堪能のみなさまへ「お詫びとお願い」(P社風)
知らなかったとは言え、過去に大変な過ちを犯していたので
この場でビール党の皆様にお詫びです。
Sちゃんは大のビール娘で、飲んだ後の武勇伝にも事欠かない。
あまりに暑かったので、一昨日は「ちょっと一杯」ひっかけに行った。
そこにはやはりとんでもなくアルコール好きな友人が
バーテンダー(っていう日本語正しいのかな?)として働いている。
Sちゃんは、「何にします?」と聞かれ、艶然と微笑んで
(この時の表情は「艶然」以外の何者でもなかった。
「艶然 : にっこりとあでやかに笑うさま -大辞林」)
「生ビール」と答えた。やがて、バーテンダーであり友人のダイが
運んできた生ビールを口にしたSちゃん、今度は会心
(「期待どおりにいって満足すること -大辞泉」)の笑みを浮かべて
「美味しい!」と唸った。どうやらダイの生ビールをいれる腕は、
Sちゃんのおめがねにかなったようだ。そこで、全然飲めない私が
「ほえー、そんなに違うもの?何か、泡の量とかが大事なんだよね。」と
バカ丸出しで確認しようとしたら、右と左の両方から、二人が一度に
呆れたように私を見た。先に口を開いたのはSちゃんで、
「細くないとダメなんだよ。わかる?」と、憐れみに近い表情で私に聞く。
「細い?グラスが?」と私の見当違いに返事に、ダイが無言で首をふっている。
「えー、何?私だって、昔居酒屋とか手伝って生ビール出した事あるよ!
手前に引くと泡が出るんじゃんか!」と抵抗してみたら、Sちゃんが
悲鳴を上げた。
「やだちなさん、わわわわ、わからないくせにめったやたらと生ビール
いれてお客さんに出すのやめて!こここ、心がこもってない!」
私はすっかり首を垂れて考えた。
本当だ。私は全然ビールの味がわからない。当然生ビールをいれる時も
泡や味なんかには無頓着だったのだ!!!
「やだちなは、以前やだちなが居酒屋などを手伝った際に生ビールを注文された
お客様を探しています。お手元に記録をお持ちでしたら、直ちにご連絡下さい。
心を込めた謝罪をさせてイタダキマスm(__)m」
(P社って前の仕事で何回か行ったけど、滅多にみないくらい感じの悪い会社でした・余談)
みなさんごめんなさい。
どうか美味しい生ビールが皆様の喉もとへ届きますように。 7/29/2006 かわや語源は、
《川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいう》
便所のことですね。
某ビルの一階女子トイレ。
便器横両脇には、赤ででっかく足跡のマークが書き入れてある。
「ここに立ちなさい」ってことだ。「足をこの場所に置いてね」ってことで、
つまりはそこ以外の立ち位置だと不具合が起きるという意味なんだね。
子供じゃあるまいし、大人なんだしさぁ、、、、。と複雑な気持ちで
足跡マークを見下ろしながら気がついた。
「立ち位置に関して注意喚起を促さなければ不具合が起きる」など、
設計の問題じゃなかろうか?なんだなんだ、便器の長さがもっと長ければ
もしかして解決できる問題なんじゃないの?
なぜを5回繰り返して真因を見つけましょう
対策を考えるうちに気付く。
洋式トイレってやっぱり凄いよ。
水周り関係の文化は、やはりアジアよりも西洋に軍配、と言うところか。
こればっかりは悔しいけれど認めざるを得ないね。 7/20/2006 ブログやめておけばいいとわかっているのに、わざわざ踏み込んでいって
自分の精神を壊した時。陰鬱な雨に降り込められて、どうやっても
上手に自分で自分の機嫌をとって上げられない時。
一生懸命考えた結果思い浮かんだのは
「珈琲を飲みながらブログを書く」という選択だった。
不特定多数へ、もしかしたら自分自身だけへの発信場所であるブログで、
誰もそばに来ないでと金切り声をあげ、どうせおまえなんかひとりきりだよと
自傷行為にふけるのに、何の勇気も要らない。
でも本当に苦しい時、誰かにメールで苦しいよと伝えるのには
果てしない勇気が必要だ。そんな事を言えば嫌がられるんじゃないかと
不安になるからだ。負担になるのではないかと不安になるからだ。
きっと私の不安なんか一笑に付してしまうに違いないと信じられるのは
Sちゃんで、だからSちゃんに「愚痴ってごめんね。」と携帯メールを送った。
Sちゃんからはすぐに返事がきた。
「愚痴になってないよ。」と1行目に書いてあった。
「そんなときはこの間Nさんに貰ったすっぽんエキスを飲んで元気出して。」と
続いていた。Sちゃん、私はこんなタイミングですっぽんエキスを私達にくれる、
Nちゃんという共通の友人がいる事にも感謝しないといけないね。
こうしてブログのエントリーを書き終える頃、私の精神は通常値を取り戻す。
自分の心の中を文字にして吐き出す事が、どうしてここまで
自分のキャリブレーションに有効なのか、自分でもあまりよくわからない。 |
|
|